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2009年8月

スーパーマリン シミター

1950年代初頭に英海軍が作成した仕様書N113Dに基づく機体。戦闘機としてだけではなく対地攻撃や偵察など多用途に使用できる機体として開発された。
 スーパーマリン社では直線翼を持つ機体や後退翼を持つ機体など、いくつかの試作機を自社負担で開発していたが、それらの研究成果と発見されたばかりの面積法則(エリアルール)を盛り込んで完成したのがタイプ544と呼ばれる機体であった。このタイプ544原型機は1956年に初飛行し、所定の性能を満たしていたため英海軍に採用(シミター(三日月刀)と名付けられた)となり、翌年8月に第700試験飛行小隊に生産型が配備された。
 機体重量の大きい当機を航空母艦へ離着艦させるという難問には、吹き出しフラップの装備で解決させており、低速時の操縦性の良い機体に仕上がっている。当機は英国海軍に対して戦術核搭載可能な攻撃機、空対空ミサイル搭載可能な迎撃戦闘機、空対地ミサイルや軽爆弾を搭載可能な近接支援機、長距離を飛行できる戦術偵察機と幅広い選択肢を与えたが、生産数は全部で76機と少なかった。
 1960年代になって バッカニーアが配備されるようになると当機は順次退役していった。

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エアロンカ L-3グラスホッパー観測機

1940年にアメリカ陸軍は複座観測機の競争審査を行い、スチンスン社の機体を O-49(後にL-1へ改称)の名で採用した。折しも欧州では第二次大戦が始まっており、観測機や連絡機といった機体の重要性が高まってきていたため、1941年に民間向け軽飛行機メーカーとして定評のあるエアロンカ、パイパー、テイラークラフトの3社から4機ずつの機体を購入して評価を行い、その年の終わりには多数の機体が制式発注されるに至ったのである。
 第二次大戦や太平洋戦争では幾多の戦場で着弾観測や前線偵察、拠点間の連絡、傷病兵の輸送など幅広い任務に従事しており、陸軍が調達した機体だけでは数が足りなかったため、民間が保有していた多数の機体も陸軍に徴発・使用されている。
 ちなみに良好な操縦性からグライダー操縦士の訓練用としても適任であるとして、無動力型も製作され、輸送・侵攻用グライダーの操縦士養成に一役かっている。
 軍用型の生産は最終モデルであるL-3Cを最後に1944年で終了しているが、発動機を強化した機体(モデル7チャンピオン。初飛行は44年中盤)がL-16の名で戦後アメリカ陸軍航空軍(後の空軍)に採用されており、朝鮮戦争やベトナム戦争などで使用されている。

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ウェストランド ホワールウィンド戦闘機

英国航空省が出した仕様書F37/35の要求に従って開発された機体。英国空軍初の単座双発戦闘機として1938年10月に原型機が初飛行したが、搭載エンジンであるロールス・ロイス社製ペリグリンエンジンの開発に問題が生じたため、部隊配備は第二次大戦開戦後の1940年6月にまでずれ込んでいる。
 大きな双発エンジンと細い胴体、十字型の尾翼が特徴的な当機は優れた運動性能と20ミリ機関砲4門の強火力を持っており、英国空軍の戦闘機部隊の一画を占め活躍できるだけの能力を持っていた。しかしペリグリンエンジンには開発時点から問題があり、RR社もマーリンエンジンの開発改良に力を注いだため、ペリグリンエンジンの改良は中止されてしまった。代替のエンジンとしてウェストランド社ではマーリンエンジンの搭載も計画したが、同エンジンは他機種への搭載が優先されたため、結局生産されたペリグリンエンジンを使い切ってしまう112機(+原型2機)で当機の生産は終了した。
 搭載エンジンの生産が打ち切られ、また単発戦闘機である ハリケーンスピットファイアが改良により当機と同等の火力を搭載できるようになったことから、当機の戦闘機としての重要性は薄れたため、一部の機体は主翼下に爆弾架を搭載する改修を受け戦闘爆撃機として任務に従事したが、これも ボーファイターが配備されるようになると英国空軍の当機への関心は急速に薄れて行き、当機は1943年には第一線任務から退くこととなってしまった。
 ちなみにホワールウィンドの名称は戦後に同社がライセンス生産した H-19ヘリコプターへ引き継がれているが、そのためネット検索などでは混同することが多く非常に紛らわしい。

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三菱 九七式重爆撃機

陸軍は昭和10年に三菱と中島に九三式重爆撃機の後継機試作を指示。そこで試作された三菱・中島両社のキ19を審査したが、性能に差がなかったことと政治的判断から機体は三菱、発動機は中島ということで改めてキ21の名称で三菱に発注された。しかし、機体設計に対して陸軍から多くの注文が付いたため、試作機を大きく設計変更した機体が量産型として部隊配備された。この量産型には三菱機の面影はなく、かなり中島製キ19に近いスタイルを持っている。
 日華事変中期から太平洋戦争全期間にわたって陸軍の主力重爆撃機として大活躍したが、重爆撃機としては、やや小型で爆弾搭載量や航続距離などに若干不足な点もあった(陸軍では航続距離を稼いだり搭載量を増やすことよりも速度を重視し、搭載量の不足は反復攻撃を行うことで補うよう考えていたようだ)が、陸軍の重爆撃機の中では最も生産機数が多かった。
 開発当時は高速を誇った当機も大戦後期になるとその速度で優位を保つことは不可能となったため、損害も多大なものになっている。
 また、日本航空では日満間の航路強化を目的として、陸軍から当機の払い下げを受け、輸送用に改造した機体を特急便として使用した(払い下げ機数は不明)。

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アエリタリア G91

1953年にNATOが示した新型軽戦術支援機の仕様に基づいてイタリアのフィアット社(後に航空部門はアエリタリアとして独立)が製作した機体。当時一線級戦闘機だった米国の F-86セイバーを一回り小型化したような機体で対地攻撃型のG91・偵察型のG91R・高度練習機のG91Tなど幅広い機体構成となっている。
 NATOの中ではイタリア、西ドイツが採用(ポルトガルも西ドイツの中古機体を使用している)、フィアット社(アエリタリア)の他に西ドイツ国内でも南部航空同盟(EUSメッサーシュミット、ドルニエ、ハインケルの3社共同体)によりライセンス生産された。
 また、エンジンを2基に増やし機動性を増した攻撃機G91Yもイタリア空軍に採用されている。なお、現在では各国ともほとんどの機体を退役させている。

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