中島 特殊攻撃機「剣」(「藤花」)
太平洋戦争末期に、日本の敗戦が濃厚となりながらも徹底抗戦を叫ぶ軍当局は少ない資源と資材で製作できる特攻専用機キ115の開発を中島飛行機に指示した。
指示を受けた中島飛行機はわずか1ヶ月という驚異的なスピードで試作機を完成させ、終戦までに100機余りを量産したが、実際に特攻機として使用されることはなかった。
発動機は製造の容易なハ115を採用、機体も貴重なジュラルミンなどは使用せず、木材やブリキ板などが使用され生産促進が図られていた。また主脚も当初は離陸後に切り離されるようになっていたが、訓練で使用するには危険なため簡易型の固定脚が取り付けられた。武装は機体内に半埋め込み式で取り付けられる爆弾のみで、軽量化・簡易化のため機銃は装備していなかった。
なお海軍用として特殊攻撃機「藤花」の名称もあったが海軍では制式採用されていない。
※2005年6月2日追記
当機の開発に携わった技術者・青木邦弘氏の手記(サイト 『古典航空機電脳博物館』内の『中島飛行機物語』に掲載されている記事『中島最後の飛行機「剣」誕生秘話』を参照)によると、この機体は元々特攻機として開発されたわけではなく、貴重な戦略物資を使用せず、また極力簡略化することで生産を容易とすることをポイントに開発された単座爆撃機であるとされている。設計に時間のかかる降着装置は省略し、帰還した機体を胴体着陸させることで貴重な発動機と操縦士は回収可能となるように考えられており、爆弾も投下可能なように設計されていたそうだ。
だが、戦局の悪化から戦闘行動に不向きな練習機までを特攻に投入していたことや、熟練パイロットのほとんどが喪われてしまっていた状況を考えると、当機が量産配備されたとしても開発当初のプランである単座爆撃機として使用されることはまず無理で、人間を誘導装置として使用する『必殺必死』の特攻兵器として使用されたであろうことは想像に難くない。
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