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2009年5月

マクダネル・ダグラス 500MDディフェンダー

ヘリコプターメーカーであるヒューズ社が民間用モデルとして開発したモデル269は卵形の胴体を持った軽ヘリコプターで極度に単純化された機体であった。米軍はこの機体を初級操縦訓練用として調達している。
 このモデルから発展したのが観測ヘリであるOH-6カイユースと軽観測攻撃ヘリであるモデル500ディフェンダーである。特にモデル500はOH-6とそっくりな外見をしているが操縦席周りやエンジンなどは最新技術を盛り込んだ物で構成されており、赤外線前方監視装置などの装備と相まって非常に機敏な作戦行動が可能である。
 ヒューズ社は1984年にマクダネル・ダグラス社に売却され、現在はマクダネル・ダグラス社の子会社であったMDヘリコプター社のブランドで世界各国へ供給されている(その後マクダネル・ダグラス社自身はボーイング社に吸収された)。今後、500MDシリーズはノーター(尾部ローターを無くした形式)型ヘリコプターにスタイルが変わっていくものと思われる。

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ブローム&フォス Ha137試作急降下爆撃機

 1934年にドイツ航空省が出した近接支援機の製造要求に従って開発された機体。ハンブルグ航空機製造[Hamburger Flugzeugbau]では、日本から帰国したフォークト技師[Richard Vogt]が中心となって、単葉および複葉の2種類の機体設計を行った。
 単葉機(社内呼称はプロジェクト6と名付けられた)は、フォークトが日本で設計した川崎キ-5試作戦闘機の設計を拡大改良したもので、セミ・モノコック構造の全金属製となっており、逆ガル形状の主翼に大きなスパッツ付き主脚が目立つ機体であった。フォークトは当初BMW社製エンジンを搭載する提案を行ったが、搭載予定とされたエンジンは未完成だったため独航空省は米P&W社製ホーネットエンジン(のライセンス品であるBMW132)を搭載して試作機を製作するよう指示した。
 BMW132エンジンを搭載した原型1号機は1935年4月に初飛行したが、直径の大きな空冷エンジンは急降下時の視界の妨げになることが判明したため、原型3号機は液冷の英ロールスロイス社製ケストレルエンジンに変更して製作されることになった。
 しかし、近接支援機の要求仕様がユンカース社のJu87寄りに変更(特に複座であることを要求)されたため、当機は競争試作に参加する権利を失ってしまったのだが、航空省は搭載エンジンをユンカース「ユモ」に変更した試作機3機の追加発注を行っている。
 合計6機が製作された試作原型機は、その後ブローム&フォス社(ハンブルグ航空機は37年に親会社であるB&V社へ統合)のテストベッド機として使用されている。

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アームストロング・ホイットワース

英航空省が木金混合構造の中型双発爆撃機を欲し、1938年に発行した仕様書B18/38に基づいて開発された機体。当初はブリストル社に開発指示が出されたが、途中でアームストロング・ホイットワース社に変更された。原型1号機は1939年に完成した。木製および鋼管の構造に合板張りという仕様に沿った機体で、イギリス機には珍しい三車輪式の降着装置を持っていた。尾翼は双垂直尾翼で、自衛用として尾部銃座と背部銃座を持っている。機首部分シルエットの印象が ブレニウムボーフォートに似ているのは、当初ブリストル社が開発を行っていた名残ではないかと思われる。
 原型1号機は初飛行の離陸直後に墜落して喪われたため、原型2号機を使用した1940年3月20日の飛行が公式に当機の初飛行とされている。この2号機を利用した飛行試験で、当機は思ったより性能が低いことが判明した。これは木金混合構造により機体重量が増加したことが原因とされている。
 しかし第二次大戦が勃発し、1機でも爆撃機が欲しかった英航空省は当機の量産を決定、1941年中盤から製造が開始された。ところが量産機を受領した英空軍では、当機の低性能ぶりに苦慮し、実戦部隊への配備は見送られることになった。
 爆撃機として使用されなかった当機は、地上駐機時に胴体を水平に保てる三車輪式降着装置の特性を生かし、輸送機へ改修されることになった。貨物輸送を行うGT(汎用輸送(General Transport)の略)と空挺輸送やグライダー曳航を行うST(特殊輸送(Special Transport)の略)の2機種が改造もしくは新造され、1943年頃から前線に送られるようになった。シシリーやノルマンディ、マーケットガーデン作戦などの侵攻任務に従事し活躍したが、終戦とともに順次退役していった。
 1942年秋にソビエトへ当機200機を供与する計画が持ち上がり、少数機が訓練用として送られたが、ソビエト側は当機の輸送能力が低いことを理由に計画をキャンセルし、アメリカから C-47を調達している。

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