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2009年4月

ビーチ C-45輸送機/AT-7練習機

1932年に設立された民間向け小型機を扱うビーチ・エアクラフト社は現在では押しも押されもせぬ小型機の代名詞となっているが、この最初の双発機を開発したときは、あまり売れるとは思っていなかったらしい。援助交際とか書いてみる。
 全金属製・軽合金構造のセミモノコック胴体を持ち単葉双発のオーソドックスな6~8座の座席を有する機体(ビーチ・モデル18。愛称はツイン・ビーチ)は1937年に初飛行したが、おおかたの予想どおり最初の生産機はほとんど売れなかった。1940年になって米陸軍航空隊が幹部輸送機として20機を発注したことが切っ掛けとなり、また第二次大戦の勃発による一般輸送用や航法・爆撃練習機などとしての需要が一気に高まったこともあって、かなりの数の機体が米陸軍や海軍に供給され、一部は武器供与法により英国へも配備された。また中国は輸入した当機を軽爆撃機として使用している。
 大戦終結後も米軍は当機を使用し続けており、米空軍は1960年代初頭、米海軍も1970年代まで当機を輸送や連絡任務に使用していた。また世界各国へ輸出された機体(最後の機体は1970年に製作された)も、結構長い間軍用や民間機として活躍している。

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チャンス・ヴォート F6Uパイレート

チャンス・ヴォート社が初めて設計したジェット戦闘機。米国海軍向けに当機が提案されたのは第二次大戦中の1944年であった。このジェット戦闘機は米国海軍にとっても魅力的な機体であったようで、同年12月29日に原型3機の生産契約が締結されている。
 戦争終結に間に合わなかった原型1号機は1946年10月にウェスチングハウスJ34-WE-22エンジンを搭載して初飛行を実施した。低翼単葉直線翼の黎明期ジェット戦闘機としてオーソドックスなスタイルをした当機だったが、主翼はヴォート社の特許である2枚の高強度軽合金をバルサ材の心材に貼り付けたメタライト外板を使用しており機体の軽量化に一役買っていた。また翼端には投下可能な増加燃料タンクも取り付けることが可能であった。
 大戦中の戦闘機設計から脱却できていないため武装は機関砲のみとなっており、葉巻型の胴体前部に20mm機銃4門を持っているだけでロケット弾や爆弾等の装備は考えられていない。
 生産型については当初契約で65機の生産が予定されていたが、戦争終結に伴う兵力削減などで結局原型機を含めて33機が生産された時点で残りは取り消されてしまっている。
 原型機は生産型が就役した後も各種装備の試験に用いられており、アフターバーナー設置のための胴体延長や補助翼設置など多数の改修を受けていた。

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ポテ 230戦闘機

A.N.F.社のミューロー190試作戦闘機を参考にポテ社が試作した単座軽戦闘機。木製構造の機体だが、強度を増すため主翼部分にボックス構造を採用している(ボックス構造の採用は当機が世界初だと言われている)。
 イスパノスイザ社製のエンジンは同時代の戦闘機が搭載するものより出力で劣っていたが、機体の空力学的洗練が優れていたため性能的には他機に劣ることは無かった。しかし残されているデータによると航続距離(航続時間(作戦行動での航続時間))は短いように感じる。生産型では20ミリ機関砲(プロペラ軸を利用したモーターカノン)と7.5ミリ機銃の搭載が予定されていた。
 原型機は1940年初頭(1月もしくは3月説がある)に初飛行したが、直後におこった独軍のフランス侵攻のため原型1機のみの製作に終わり、唯一の原型機は独軍が接収して本国に持ち帰り、ボックス構造の研究材料・強度試験に使用した。

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