F.F.V.S.(国立航空省ストックホルム工場) J22戦闘機
1930年代末に隣国であるフィンランド(対ソ戦)やノルウェー(対独戦)が戦争に巻き込まれるのを見ていたスウェーデンは、中立を保つためにも空軍力の強化が急務と考えた。ところがこの時期のスウェーデン空軍の主力戦闘機は旧式なJ8(グロースター・グラディエーター)が5~60機ほどあるだけだったので、アメリカからセバスキー社やバルティー社の機体を緊急輸入することにした。しかしアメリカは1940年7月に兵器の対外輸出をストップしてしまい、スウェーデンに届いたのは60機のセバスキーEP-1戦闘機(スウェーデンではJ9と名付けられた。 P-35戦闘機の輸出型)のみで、戦力増強としては今ひとつ物足りないものであった。
そこで他の国からの輸入を打診したところ、ソビエトは旧式な I-16しか輸出できないと回答したため問題外とされ、日本からは 零式艦上戦闘機の改修型を提供してもよいと回答を得たものの周辺諸国が戦争を行っている中での輸入方法に目処が立たず計画倒れに終わっている。ようやくイタリアからCR42や Re2000を輸入することができJ11およびJ12(後にJ20と改称)の名称で戦力に取り入れることに成功したのだが、このように外国製兵器に頼っていると国防上問題があるとして自国内でも機体の開発を行うこととなったのである。
サーブ社と国立航空省ストックホルム工場にてそれぞれ新型機の開発が始まり、 J21とJ22と名付けられた機体は1942年から43年にかけて初飛行した。J21は他国では実用化できなかった推進プロペラ式という珍しい機体であったが、J22はオーソドックスな金属製・合板張りの片持ち低翼単葉機であった。
オーソドックスながら性能は高い機体で、1000馬力級のエンジン(これは米P&W社のツインワスプエンジンを無許可コピーしたもので、戦後P&W社に対しライセンス料が支払われたらしい)を搭載しているわりに575km/hもの高速を発揮できた。第二次大戦中はスウェーデンの領空を侵犯する米英の軍用機やドイツ空軍機に対して緊急発進(スクランブル)を行い、多数の侵犯機を強制着陸させる働きを見せている。もちろん着陸指示に従わず抵抗を試みる機体もあったわけだが、これらの外国機に対しても当機は互角の戦いを行い、戦後の1952年に第一線を退いた。
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