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2008年11月

EHI EH101マーリン

英ウェストランド社と伊アグスタ社が共同で開発した大型ヘリコプター。1980年代はじめから開発が開始され、共同設立のEHI社によりマネージメントされている。
 洋上長距離飛行・全天候飛行を主眼に置いた設計のためエンジンは3基搭載されており、運行の信頼性・安全性は格段に向上している。また、5枚羽根ローターのブレードはウェストランド社が英国政府の委託で進めてきたBERP(英国実験ローター計画)の成果を取り入れており、複雑に変化する形状を持っている。この形状により通常ブレードの3割増程度、揚力を高めることが出来ている。
 1998年から英国海軍へ納入が開始されており、英国空軍も2000年から調達を開始している。またイタリア海軍も16機(+仮発注8機)の発注を実施しているが、イタリア海軍向けの機体にはGE社製CT7-6エンジンが搭載される予定である。これ以外にもカナダ政府が当機を50機発注したが、この契約は冷戦終結により白紙に戻され、捜索救難機として15機の発注に削減された。
 民間向け機体としても30座席のコミューター路線向けや北海油田プラットフォームへの連絡ヘリとしての需要を見込んでいるが現在のところ民間への販売実績は1機のみで、この機体は日本の東京警視庁が大型連絡輸送ヘリ「あおぞら」号として運用している(購入元が警視庁であるため厳密には『民間』機と言い難いかもしれない)。

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フォッケ・アハゲリス Fa330バッハシュテルツェ回転翼機

 対水上レーダーが発達する前の時代、艦艇から行う周辺警戒・索敵は乗員の目視に頼らざるをえなかった。ところが地球は球体であるため、距離が離れると相手は視界の影になり見えなくなってしまうので、より高い位置からの観測が必要であった。そのため艦艇の見張り台は艦の最も高い位置に設置されていた。しかし潜水艦は水中航行の邪魔になる艦橋(司令塔)や艦の吃水を高くすることができず、索敵距離は数キロメートルがせいぜいだったため、敵水上艦艇より先に相手を発見するのは困難であった。
 20世紀初頭ごろから観測気球を戦艦等に搭載して、ワイヤーで曳航しながらの観測が行われていたが、潜水艦はスペースの問題から観測気球の搭載・運用は無理であったため、ドイツ海軍では1940年代初頭に、凧による観測を計画した。この凧は通常想像されるようなものではなく、無動力の回転翼を持つもので、風を受けて回転するこの回転翼が揚力を生み出すしくみとなっていた。
 42年にフォッケ・アハゲリス社へ対して機体開発の指示が出された。二人の要員(搭乗員)により潜水艦甲板へ配備でき、容易に組み立て・解体が可能で、150メートルの曳航ワイヤーにより牽引されることで約120メートルの高度にまで上昇できる機体として開発された。高度120メートルからの観測は、潜水艦に従前の5倍程度の視程を与えることになった。同機はFa330の名称(愛称は「バッハシュテルツェ」(鶺鴒(セキレイ)の意))で海軍に採用となった。
 43年から少数のUボートに搭載されており、何度か使用されたものの、制空権が連合軍側にあったため悠長に凧を飛ばしている状況に無く(組み立てには20分程度の時間がかかった)、目立った戦果を挙げることはできていない。ちなみにFa330を運用中に敵艦や敵機に発見された場合、潜水艦長は同機(とその搭乗員2名)を見捨て、ワイヤーを切り離して急速潜航で逃げることとされていたため、水温が低い海上への不時着水がそのまま搭乗員の死を意味した北海や南大西洋において、当機の使用は敬遠されていた。
 ほとんど戦況に寄与しなかった機体であるが、終戦までにヴェーザー航空機[Weser Flugzeugbau]社の手により約200機が製造されており、ある程度の数が終戦後も生き残っていたため、世界各地の博物館等で現在もその姿を見ることができる

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ブロック MB200爆撃機

 1932年にフランス航空省が出した新型夜間爆撃機の仕様書に基づいて開発された機体。両大戦の狭間となる平和な時代(かつ全世界的に不景気な時代)だったため、航空機メーカー各社は数少ない軍との契約にからむチャンスだとして積極的にこの仕様書へ応え、5社から設計案が提出されることとなった。
 ブロック社の提出した設計は全金属製の固定脚高翼単葉双発機で、同時期に英国で開発された ブリストル・ボンベイハンドリ・ページ・ハローなどに似た4座機であった。
 審査の結果、ブロック社の案とファルマン社の案(F221)が採用され、33年に量産が開始された(量産型発注は34年とする説もある)。原型機は設計から推定される最高速度よりも低い能力しか発揮できなかったが、量産型では信頼性の高いエンジンと、秀でた部分も無いかわりに特に欠点も見あたらない無難な機体であると評価され、最終的に200機以上がフランス空軍へ供給された。また大型機開発の経験がなかったチェコスロバキアにおいても、当機のライセンス生産が行われている。
 第二次大戦が勃発した時点では、フランス空軍の機体は全機が訓練用として格下げされていたが、チェコスロバキア空軍の機体は第一線の部隊に配備されていた。ドイツ軍の侵攻によりこれらフランス・チェコスロバキアの機体は鹵獲され、ドイツ空軍の乗員訓練やグライダー曳航、一般貨物輸送などに流用されている。なお、少数の機体はドイツからブルガリア空軍へ供与されている。

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川崎 八七式重爆撃機

 大正13年(1924年)に陸軍はそれまで使用していた丁式一型、二型重爆(どちらもファルマン社製の輸入機)の後継機選定を計画した。
 陸軍として初めての全金属製大型機であり、国内メーカーには開発経験が無かったため金属機設計に豊富な経験を持つドイツのドルニエ社に対して機体設計を依頼、同社は後に世界一周飛行を達成したDo.J「ワール」飛行艇を元にDo.Nと形式名をつけたパラソル式単葉の機体設計を完成させた。この設計を元に川崎航空機工業で試作機を製作し、約1年にわたるテストの結果昭和2年に八七式重爆撃機として制式採用されたのである。
 飛行艇がベースとなっているため舟型のスマートな胴体を持った、陸軍における全金属製機の先駆的機体であった。発動機はドイツBMW社製のものを国産化した「ベ」式発動機を予定していたが、国産化の遅れから1号機には輸入した英国製ネピア・ライオン発動機が搭載された。
 日本ではじめて1トンの爆弾を搭載できる爆撃機であったが、大きさの割に発動機の馬力が不足していたため速度が遅く、安定性に問題があった。飛行士達は機体形式命のDo.Nをもじって「ドン亀」とあだ名を付けていたが陸軍重爆の中核として昭和10年頃まで使用されており、満州事変ではのべ300機余りが出撃、約80トンもの爆弾を投下している。

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アルセナル VG-30戦闘機

1936年に設立されたアルセナル国営航空工廠(Arsenal de I Aeronautique)にて計画された戦闘機。プロジェクトリーダーであるヴェルニス(Vernisse)氏と設計技術者のガルティエ(Gaultier)氏の頭文字からVG-30と名付けられた機体は全金属製単座の片持低翼単葉機で、腹部に大きく張り出した冷却器が特徴的な機体であった。
 いくつかの機体プランがあったが、フランスがドイツに降伏するまでに生産に着手できたのはVG-33のみで、ドイツ軍占領後も細々と研究開発が進められたが、結局終戦まで量産が行われることは無く、戦後VB.10と改称、さらに進化した機体(戦時中の研究により、洗練されたスタイルとなったが、串型エンジンの採用などで機体はかなり大型化した)も1947年に発注こそ行われたが原型を含め6機を製造したところでキャンセルとなってしまった。
 VB.10は操縦席の前後にエンジンを搭載するという特異な機体に進化しており、2基搭載されたエンジンは同軸上に取り付けた互いに逆回転する2個のプロペラ(二重反転プロペラ/コントラ・プロペラ)を延長シャフトで駆動する方式で、1基を停止させての巡航も可能であった。

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チャンス・ヴォート F6Uパイレート

 チャンス・ヴォート社が初めて設計したジェット戦闘機。米国海軍向けに当機が提案されたのは第二次大戦中の1944年であった。このジェット戦闘機は米国海軍にとっても魅力的な機体であったようで、同年12月29日に原型3機の生産契約が締結されている。
 戦争終結に間に合わなかった原型1号機は1946年10月にウェスチングハウスJ34-WE-22エンジンを搭載して初飛行を実施した。低翼単葉直線翼の黎明期ジェット戦闘機としてオーソドックスなスタイルをした当機だったが、主翼はヴォート社の特許である2枚の高強度軽合金をバルサ材の心材に貼り付けたメタライト外板を使用しており機体の軽量化に一役買っていた。また翼端には投下可能な増加燃料タンクも取り付けることが可能であった。
 大戦中の戦闘機設計から脱却できていないため武装は機関砲のみとなっており、葉巻型の胴体前部に20mm機銃4門を持っているだけでロケット弾や爆弾等の装備は考えられていない。
 生産型については当初契約で65機の生産が予定されていたが、戦争終結に伴う兵力削減などで結局原型機を含めて33機が生産された時点で残りは取り消されてしまっている。
 原型機は生産型が就役した後も各種装備の試験に用いられており、アフターバーナー設置のための胴体延長や補助翼設置など多数の改修を受けていた。

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